母    校

九州大谷短期大学教授 宮城  しずか

 「あの学校こそ自分の母校だと、卒業生が心から云いきれるような学校にしてゆきたい」。たしか、歳若く志なかばで亡くなった平野修元教授の言葉であったと記憶しています。在るべき学校像について、ともすれば理想論をふりまわしてしまうなかで、その言葉は、大変ぬくもりのある、端的な言葉として、今も心にのこっています。
 ところで、母校とはどういう意味なのか。試みに『広辞苑』をひいてみますと、「自分が学んで卒業した学校、出身校」とあるだけです。そうにはちがいないが、しかし、それだけのことなのか。平野さんのいう母校という言葉がもっているひびきと、あまりにもかけはなれた説明にすぎません。
 母校・母なる学校。私たちは、依って立つべきところ、それによって命が養われ育まれていると感ずる大地を、母なる大地と云いあらわしてきました。そのことから云うと、その学校においてはじめて、人間として依って立つべきところを教えられたと感じるとき、そしてそこに帰るたびに変わることなく、命のぬくもりが感じられるとき、母校と感ずることができるのだと思えるのです。すくなくとも私は、平野さんの言葉をそう聞きました。
 さて、この30年間の、5150人と数えられる卒業生のなかの何人に、九州大谷こそ自分の母校だと感じさせることができたのか、忸怩たる思いがあります。そしてあらためて、一人でも多く、そういう卒業生を送りだせるようにと、憶いをあらたにせずにおれません。


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