大学紹介 人間学

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人間学

人間の基礎

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●人間学
 ①御命日勤行・大学報恩講
 ②人間学講義
 ③仏教讃歌講義
 ④人間学座談
●自己との出会い
●社会との出会い
●人権論

本学は、仏教の精神、なかんずく親鸞聖人が浄土真宗の名をもって明らかにされた精神を教育の基本にしており、それは「本学の願い」として表現されています。
私たちのこれまでの学びは、近代の理性を大前提としてそれを基礎にして成り立ってきました。なるほどそれは神からの人間の自由でありました。しかし人間の理性がおちいる諸問題については見落とされたままで現代の混乱を迎えています。例えていえば、幼児のことを学んでいきながら幼児が見えなくなるとしたら、その学びは何なのでしょうか。
学びに関していえば、近代においては、人間の精神を探求していく学びは「学」として成立していく過程で並列された、幾多の教科目の一つとして位置づけられてきました。そのために各教科目が分化され複雑化されて、概念操作の檻の中で逆に人間が見えなくなってしまい、しかもその現実を問い直すことも出来なくなったという歴史的事実があります。人間を考えたはずの学問が抱えてしまった、人間そのものに対する鈍感さという不幸であります。
本来の学問は、この学問の不幸を克服しつつ、より人間を学ぶ「学」としてあらねばなりません。
本学における人間の学びは、現在開設されている幾多の教科目の中の一科目という位置ではありません。いわば各教科目の基礎にその根源として見いだされる精神、人間を学ぶ学びの基礎としての精神、つまり「人間の基礎」である。従ってその精神は、本学共有の精神なのです。そして、その精神を特に全学で具体的に確認するために、①「人間学」、②「自己との出会い、社会との出会い」が準備されています。皆さんの積極的な参加を願います。
学びの基礎の全学的確認】①「人間学」、②「自己との出会い」・「社会との出会い」

人間学

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人間学とは、文字どおり「人間」を「学」ぶ、本学のすべての学びの基軸となる学びです。私たちは、自分自身で自分自身を知ることはできません。例えば、あなたはあなた自身を自分の眼で見ることができるでしょうか?そのようなとき、私たちは鏡を通して自分を見ることになります。それと同様に、人間が人間を学ぶためには、人間を写す鏡が必要なのです。本学に学ぶ者(学生・教職員)にとって、その鏡とは、「本学の願い」にあらわされた建学の精神、「浄土真宗」です。建学の精神を通して、今まで気づきもしなかった自分自身と出遇い、そして周りの人々(他者)を発見するのです。自分自身とまわりを見出し、受け容れたとき、私たちは、たとえどのような境遇にあろうとも、勇気と情熱をもって歩みはじめることができるのです。
そんなはつらつとした人間を生み出す場として、「人間学」は次の4つの時間によって構成されています。
①御命日勤行・大学報恩講
月1回の御命日勤行(ごめいにちごんぎよう)および12月の大学報恩講(だいがくほうおんこう)では、本学に関わる全ての者が集い、建学の精神に自分自身を学びます。如来の本願(ほんがん)に出遇い、人間を見いだし、人間の課題に生きられた親鸞聖人(しんらんしようにん)の出遇いと感動のうた、「正信偈(しようしんげ)」をおつとめし讃歌を唱和します。また、学生・教職員の代表が感話を行ない、教員の代表が「本学の願い」をテーマに講話を行います。
②人間学講義
私たちに先立ってさまざまな問題に苦悩され、それをとおして自らを問い、生きる勇気と情熱を見出していかれた先輩方の歩みと出遇い、現代社会に人間として生きていく課題を学びます。
③仏教讃歌講義
人生には、私たちの思いに先立って、私たちに呼びかけ、育てつづけてくださっているはたらきがあります。それを「仏陀(ブツダ)(正覚者)」としていただいた人々は、そのはたらきに感謝し、そのはたらきを讃(たた)えるたくさんの「うた」を私たちに伝えてくださいました。それが仏教讃歌といわれます。私たちは仏教讃歌を唱和することをとおして、人間としての輝きとぬくもりを改めて発見することでしょう。
④人間学座談
御命日勤行(ごめいにちごんぎよう)・大学報恩講(だいがくほうおんこう)で作成した感想文を素材として、前・後期の最後のまとめの時間にクラス単位で座談を行います。クラス担任の先生も座談メンバーの一人です。みんなの声にじっと耳を澄ます中で、私の課題・私たちの課題を見出す時間です。

大学報恩講

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宗祖(しゅうそ)親鸞聖人(しんらんしょうにん)のご生涯は、人と生まれた意義と生きる課題を明らかにされた歩みでした。
宗祖の没後、その教えに出遇(であ)った人々は、仏陀(ブツダ)(正覚者)のご恩(おん)、宗祖のご恩(おん)を確認しこたえるために集いをもち、報恩講(ほうおんこう)として、今日に至るまで津々浦々でおつとめされています。
本学において最も大切な行事です。

御命日勤行

宗祖親鸞聖人の御命日を縁として、毎月全学で御命日勤行(ごめいにちごんぎょう)を勤めています。
私たちが生きる上で忘れてはならない「いのちの課題」を、仏陀(ブツダ)(正覚者)の教えに共に学び遇う「いのちの日」であります。
■次第 時間/14:40~15:35 会場/大谷講堂

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時間内容(次第、内容等は変更になる場合があります)
14:30~
14:40
入場
①(黙念の時)
②開会(総礼)
14:42③讃歌「三帰依」/「真宗宗歌」
14:45④勤行 正信偈(同朋奉讃式)…宗祖親鸞聖人が著された「正信偈(しようしんげ)」は、仏陀(ブツダ)(正覚者)の願いに出遇い、わが身に気づき、生きる勇気と希望をたたえた歌です。耳をすませ、一人になって唱和してみてください。
15:00⑤感話(学生・教職員)…学生および教職員の代表が「出遇い」をテーマに感話をします。
15:05⑥讃歌「回向」
15:10⑦講話(教員)…教員が、「本学の願い」をテーマに講話をします。
15:30⑧大学歌「ひとつの道に」/逍遥歌「新しかいのち」
⑨讃歌「恩徳讃(おんどくさん)Ⅰ」/「恩徳讃(おんどくさん)Ⅱ」
15:35⑩閉会(総礼)
15:40~
16:10
各クラスで「人間学ノート」を記入。御命日勤行を通して感じたこと、考えたことをまとめます。

感話について

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感話とは、自分の体験を通して、自分自身が感じたことを、出来るだけ素直な言葉で、みんなの前で語ること。誰でもない、自分自身のことを語るのです。それはもしかすると、普段は「あまり話したくない」と思っていることなのかもしれません。
①感話のテーマ「出遇い」
「遇」には、たまたまであう、思いがけずであう、思ってもみなかったことにであうという意味があります。単に人と人とがであうということではありません。「であっても出遇っていない」ということがあるのです。あなた自身の思いがけない「出遇い」、あなた自身を変えた「出遇い」、あなた自身に気づかされた「出遇い」について語ってください。
②感話の目的「自己を問う、自己と出遇う」
何を語ろうかと考えるところで、自分自身のこれまでの歩みについて改めて考えさせられるということが起こります。実際に語ることによってこれまで気づいていなかったことに気づいたり、感じたりすることがあります。語った後に、語ったことについて考えさせられることもあります。
聞く人は、感話する人の話と自分自身の体験を重ね合わせて自己を見つめ直すことになります。
③感話のポイント
感話は、「よい話」ではありません。また、オチが必要なお話でもありません。抽象的な話にならないように、聞いている人にその時の情景が思い浮かぶような言葉で語りかけてください。話を作るのではありません。あるがままの自分の言葉を表現し、そしてまわりの人々に受け入れてもらったという体験が大事なのです。感話は、話す人も聞く人も共に開かれていくいとなみです。
④感話をするにあたって
クラス担当の先生と相談してみてください。いろいろと話し合う中で、本当に語りたいことが浮かび上がってくると思います。
⑤感話後について
感話が終わったら、クラス担当の先生に原稿を提出してください。(誤字・脱字が無いか、確認してもらいましょう。)
提出された原稿は、本学が発行する『人身受け難し(感話・講話集)』に掲載されます。

座談について

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座談とは、御命日勤行(ごめいにちごんぎよう)や大学報恩講(だいがくほうおんこう)で感話・講話を聞くと、思いがけない人の思いがけない話に驚いたり、心が大きく揺さぶられることがあります。
その時の思いを感想文にして提出します。しかし、感想文の提出だけで終らせるのは何かもったいない気がします。その時の思いや気づきを誰かと分かち合いたいのです。座談とは、感話や講話を聞き流して終わるのではなく、その時気づかされた大切なことをはっきり心の奥にとどめるために、感想文をひとつの素材として、クラス単位で行う語り合いです。
①平等の出遇い
かたちの上では高校時代までのロングホームルームをイメージしてください。ただ、通常の講義のように教員が講義をするのではありません。基本的にその場は平座であり、教員も座談メンバーの一人という立場で語り合いに参加しながら対話を深め、学生と教員が共に建学の精神を尋ねていきます。
「本学が志向する教育は、教える側と教えられる側とが、人生を共に生きる者として、平等に出会うことによってのみ成立する。」(「本学の願い」より)
②共感の場
「座談」とは、何らかの答え合わせする場ではなく、それぞれが自分自身の課題(問い)をハッキリさせていく場と考えてください。他者の言葉に触れて、自分自身の課題を見出す。しかも私の課題は、実は私一人の課題ではなく、「私たちの課題」でもあったということを発見し、うなずき合うのです。共感の場が開かれることが願われています。

大谷講堂晨朝(じんじょう)勤行について

本学では、毎朝、晨朝(じんじょう)勤行をお勤めしています。どなたでもご参加できます。ぜひお参りください。大谷講堂でお勤めします。なお、参加の際は、念珠を持参してください。
①期日:大学開業日(土日祝日、夏季、冬季の事務室休業日以外)
②時間:原則として8時40分~55分(変更の場合、大谷講堂の掲示板に掲示されます。)
③内容:正信偈同朋奉讃式、感話
④特別な勤行
(1)修正会:一年の初めに荘厳を整え、身も心もひきしめ、仏恩報謝の思いをもって新しい年にのぞむ仏事です。
(2)御命日:親鸞聖人の御命日(28日)のお勤めです。8時10分開始とします。勤行の後に法話があります。

自己との出会い・社会との出会い

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本学の願いを授業の中で具体化する試みとして、本学では、「自己との出会い」、「社会との出会い」の各科目を設定しています。木曜4限の時間を使い、1年次前期に「自己との出会い」、2年次後期に「社会との出会い」をそれぞれ必修科目として全学生が受講します。
「自己との出会い」は、各学科をまたぐ少人数クラスを設定し、その中で、学習、発表、討論を組み合わせた授業を展開していきます。理論に偏らず、「日常の身近な問題」を手がかりに自己を掘り起こしていく(「問いを学ぶ」)ことを課題とします。
「社会との出会い」は、各学科ごとに少人数クラスを設定し、同じく、学習、発表、討論を組み合わせた授業を展開していきます。社会との関わりを通して改めて人間を問い直し、人間が本当に人間らしく暮らせる社会というものを身を据えて考えていく(「問いを学ぶ」)ことを課題とします。
■自己との出会い テーマ「人生の主体者となる」
私たちは「私が私であること」を願い、現実と矛盾する苦しみ、悲しみを解消する道を求めています。しかし、自分を本当に生きるということは、自分の思いのままに、感ずるままに生きることなのでしょうか? 自分の思い――状況によってこれほど変わっていく不確かなものはありません。他人のことにはよく気がつき敏感であっても、自分の鈍感さには気がつかない。それほど私たちは自分自身をわかったこととして生きているのです。
実はそこに、「本当の自分とは何か」ということが問われてきます。むしろ大切なことは、苦悩を苦悩として受け止めていくことでしょう。自らの苦しみ、悲しみにもがき葛藤するところに目を留め、先人の智慧に出会っていく中で、まわり(人生)から問われているものとしての自分を発見し、引き受けていく勇気が生まれます。そこに初めて、自分を生きるという意味が出てくるのです。
あなたは自分自身をどのように受けとめているのでしょうか。
■社会との出会い テーマ「共に歴史と世界を生きる」
社会を考えるということは、結局私がどういう人間になっていくのか、一人の人間としてどう生きていくのか、ということと別のことではありません。それらは、一つに結びついて私たちに迫ってくる問題です。
私たちが過去に無関心であるとき、私たちは必ず現在を無意味に過ごしていきます。そして社会に無関心なものは、自分自身を無責任に生きていくことになります。自分自身に、自分の人生に責任をもつ。自分の生きている社会に対して真摯な眼差しを向け、いろいろな声を聞き、いろいろな問題の中で考え、そして発言し、行為していく。これからの私たちに求められているのは、そういう社会に対し責任を持つ生き方なのです。
あなたはまわりに対して何が出来るのでしょうか。